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「健康ジャーナル」という雑誌をご存じでしょうか?
健康食品素材の研究における最前線のレポートや、代替医療などを含めた最新の医療情報など、精度の高い情報を広く発信する業界誌です。
先日、健康ジャーナルの編集長様より取材をいただき、「健康ジャーナル 2007年4月15日号」紙上の「起業列伝」にて当社、坂井のインタビューが掲載されましたので、ご紹介させていただきます。


起業列伝 其の拾四

早熟の”商売人”がたどりついた結論は
経営の結果とはひとを助けることができたかどうか

「一笑輝楽に顔晴れる(いっしょうきらくにがんばれる)」を社訓に掲げる(株)きせんワールド。
意味するところは、「人の一生、笑いを絶やさず輝いて、楽しくすごし、常に顔が晴れ晴れする」というもの。
そのための基本となる「健康」を手に入れ、維持するために同社ではタヒボ茶を主力商品として事業展開している。
坂井康起社長はいう。「 22 年前のことです。<お前がやれ>と、どこからか声が聞こえてきたんですよ」と。
坂井社長が起業するきっかけや、エピソードなどを紹介する。

── 坂井社長のご出身は?

坂井 商売の町、大阪です。だからというわけではありませんが、若い頃から商売が好きでしたねえ(笑)。

── ご実家もなにか商売をされていたんですか?

坂井 実家は亜鉛を製錬する会社です。いまでも兄が切り盛りしています。父親が事業家だったことが影響しているのかどうか、私も学生時代から自分で商売していました。

── 学生時代からですか? いったいどんな商売を。

坂井 昭和 40 年代のこと、ちょうど日本が高度成長期の時代です。まず洋服、いまでいえばアパレル関連の商品を売っていました。
自分で品物を仕入れて売る。これが楽しくってねえ(笑)。
当時、大卒の初任給が約6万円。それなのにまだ大学に在籍していた私は月 50 万円、 60 万円の収入がありましたから、そりゃあ楽しいわけですよ(笑)。
そんな状況でしたから、学校へはほとんど行かなかったですね。商売が忙し過ぎて(笑)。

── 学生実業家といったところでしょうか。

坂井 実業家かどうかは別にして、いやらしい言い方かもしれませんけど、その当時はお金儲けが大好きでしたからね。ただしお金をためるのが好きなのではなく、儲けたお金で車を買うといったように、使う楽しみが大きかったですね。
そのために品物を仕入れて売る。単純な商売でしたが、それが収入という結果となる。商売の魅力を実感できましたねえ。

── 最初の会社を立ち上げたのはいつ頃なのですか?

坂井 大学卒業後、1年間だけ銅を扱っている企業に修行に行ったんですよ。実家の事業の関係もあってね。
自分で会社を興したのは、そこから戻ってきた 24 歳のときですね。美容関連、教育関連の会社、それに飲食店を3店舗展開しました。そのうち美容と教育関連の会社はいまでも継続して当社のグループ企業として名を連ねていますよ。

── すると1年間の修行時代を除けば、坂井社長の肩書きはこれまでずっと「代表」だったわけですね。

坂井 そうなりますね。いやあ、重い肩書きをもち続けてきましたねえ(笑)。たまにね、こんなことを考えるんですよ。「代表」の名刺ではなく、一営業マンの名刺をもって、うちの若い社員と1日競争してみたいとね。もちろん、負けませんよ。商売に対する情熱というか、熱意はいまでもだれにも負けないと思っていますから。 

── お話しをお聞きしていると、坂井社長は行動派タイプの経営者のように感じるのですが。

坂井 若い頃はそうでしたね。なんでもこうイケイケっていうか、なにも考えずにとにかく行動するタイプでした。なにかに悩むというのは、どちらかを選択するということなわけです。でも結局はどちらかに行かなければならない。それならば、パッと行動してしまった方が、それが正しくても誤りでも結果が出て次につながるわけです。下手に悩むくらいなら動いてしまおうというタイプでしたね。

── 「でしたね」というと、いまでは違うということですか?

坂井 いや、いまでも基本は同じです。でもね、人間は成長しなければなりません。立場的にもイケイケだけではすまないケースも出てきます。常に前進する姿勢は変わらずとも、熟考することも大切になってきます。経営者とはそうしたプロセスを重視し組み立てながら、常に前進していくよう舵取りをするのが役目なのです。

── そうした考え方の変化は、坂井社長の人生のターニングポイントと関係があるのでしょうか?

坂井 やはり、タヒボとの出会いですね。いまから 22 年前のこと、私が 33 歳のときです。
当時 68 歳だった母の体調が悪くなり、もって2カ月半という宣告でした。でも息子として、なにかやってあげたいと思うのはだれもが同じだと思います。
そんなときにタヒボのことを知ったんですよ。それで親孝行のつもりで試してみたんです。

── それで結果は?

坂井 5カ月後にはハワイへ海外旅行に行ってましたね。思い出づくりのつもりだったのが、それからもたびたび国内旅行をするようになり、計 15 回は出かけたんじゃないでしょうか(笑)。

── それがきっかけで、きせんワールドを設立したわけですね。

坂井 そうです。でもねえ、タヒボの販売は商売というよりも、人助けしたいという気持ちからスタートしたんですよ。あれほど商売好きの私だったのにね(笑)。

── どうしたわけでしょうか?(笑)

坂井
 母親を助けてくれたということもありますが、いざタヒボを取り扱うにあたり、いろんな体調の悩みを抱えている300人を対象にデータをとってみたんです。そうしたら6カ月から8カ月でびっくりするようなデータがあがってきた。
そのときどこからか、「お前がやれ」という声が聞こえてきたような気がしたんですよ。

── 天命というものでしょうか?

坂井 さあ、それはどうかわかりませんが、経営の結果とは収益もそうですが、ひとを助けることができたかどうかが、経営のあるべき姿のひとつだと思うようになりましたね。

── 健康産業に携わる坂井社長ご自身の健康法は?

坂井 健康はだれにも負けないようにしたいですね。ついこのあいだ血管年齢を測定しもらったら、 25歳の若さだといわれたんですよ(笑)。
特別な健康法を実践しているわけではないけど、おそらくお客さんと話していることがパワーの源になってるんじゃないかなあ。
というのも、 24 時間365日、お客さんとのホットラインはいつもオープンにしているんですよ。そこでいろんなひとと話すこと、「ありがとう」といっていただけること。それが私の健康法かもしれませんね。

── 最後に坂井社長の座右の銘を教えてください。

坂井 心無くして成長なし。知、情、意のバランスが人間が成長するうえでとても重要なことだと思います。

── ありがとうございました。

  
【聞き手:阿部和典 健康ジャーナル編集長】

 

■「起業列伝」インタビューを終えて■

 坂井社長の趣味のひとつにゴルフがあるという。腕前のほどは「内緒」ということで教えてくれなかったが、ゴルフ談義を聞いているかぎり、かなりの腕前のようだ。やると決めたら何事も徹底して突き詰めるのが、坂井社長のこだわりらしい。

 社長室にもそんな坂井社長のこだわりがあった。窓際に飾ってあった英文の証書。

「論拠もなくお客さんと話をするのは失礼」ということで 54歳のときに一念発起。お客さんに安心し、信頼してもらえるようにと海外の大学で学び、予防医学の博士号を取得したという。

 バイタリティ溢れる人物というのが坂井社長の第一印象だったが、そればかりではなく、ひととの出会いをとても大切にする細やかさを感じることができた。
豪放磊落(ごうほうらいらく)と繊細さを兼ね備えた経営者像を見たような気がする。

 

健康ジャーナル2007年4月15日号より

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